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塾長ブログ vol.61【〝運〟の正体】
皆さんこんにちは。塾長の粟津です。
だいぶ久し振りの更新となってしまいました。
今年はウチのロイが立て続けに困難に見舞われてかなり大変だったので、「黒猫ロイの物語」の続編を書こうかとも思いましたが、またもや長編になる気がしますので、今日は別の話題にします。
「黒猫ロイの物語」の続編はまたそのうち書きますね。
さて本題です。
皆さんは、「運が良かった」とか「運が悪かった」ということをよく言う(思う)でしょうか?
私自身は、「運が良かった」ということはしょっちゅう言いますが、「運が悪かった」とは言わない(思わない)ように心掛けています。
なぜか?
順を追ってご説明します。
私は、「運とは、自分の思考・思慮が及ばない何らかの要因の巡り合わせである。」と解釈しています。
ですから、安易に「運が悪かったせいだ。」「たまたま運が悪かっただけだ。」と決めつけてしまうことは、上手くいかなかった原因について思考することを、ほとんど無意識的に放棄しているのと同じではないかと思うのです。
安易に「運が悪かったせいだ。仕方ない。」と思い込んでしまうのではなく、
「どの選択を間違えたせいで望ましくない結果になってしまったのか。」について、粘り強く考えた方が、間違いなく次の成功につながるはずです。
ぜひ皆さんには、「運が悪かった」と言う前に、
「望ましくない結果が起こってしまった原因は何か?」
「どうすれば回避できたか?」
について、自分なりに考えてみて欲しいのです。
そして、できるだけその「原因」を「他人や環境」のせいにするのではなく、自身の選択や行動の中に求めて欲しいと思います。
ここで必要な思考力のことを、少し難しい言葉になってしまいますが、「論理的思考力」と呼びます。
「論理的思考力」=「問題解決能力」「原因究明能力」
という風に理解してもらうと、幾分か分かりやすくなるかも知れません。
私のこれまでの経験上、論理的思考力の高い人は、簡単には「運が悪かったせいだ。」とは言いません。
「もうこれ以上自分にはどうする余地もなかった。」となって初めて、最後の落とし所として「今回の件は、本当に運が悪かっただけだから、受け入れるしかないね。」という結論に到るのです。
このような性質上、各人の論理的思考力の練度によって、「運が悪かった」と諦めるラインに随分差が出てしまうことになります。
「自分はいつも運が悪い」と思い込んでしまっている場合は、「論理的思考力を鍛える」ということを意識して思考を巡らせる練習を積んでもらえればと思います。
ついでに申し上げますと、
この訓練に最も適している題材は、実は「高校数学」ではないかと私は考えています。
数学とは、論理的思考力を要する学問分野ですので、トレーニングの素材としては最適です。
ただし、中学以下の算数や数学は、ほとんどが「計算力」と「解法の暗記」によって解けてしまいますので、論理的思考力のトレーニング材料としては弱いと思います。中2・中3の証明文は、良いと思います。
次に、「運が良かった」と言う(思う)のはどうなのかということについて。
結論から述べますと、
「私の実力だけでは足りませんでした。運が良かっただけだと思っています。」
と言う(思う)のは、良いことだと私は考えています。
「運が良かったとかそういうことじゃなくて、私の考えと選択が正しかったから成功したわけで、これは当然の結果です!!」
これが真実である可能性も否定はできませんが、こう言い切ってしまうのは少々傲慢で、他者から応援して貰えなくなる可能性が高いことは皆さんも分かると思います。
何かが上手くいった時も、(運が悪かったと思った時と同様に)その原因に自分が気付いていないだけである可能性が高いのもまた事実なのです。
「誰かがフォローしてくれたことに気付いていないだけかも知れない。」
「仲間の助力が無ければ、独力だけでは成功できていなかったかも知れない。」
このように考えて、
「今回の成功は、運が良かったことと、皆さんのご助力のおかげだと思っています。」
と言う(思う)方が、さらなる次の成功につながる可能性は上がりそうですよね。
ということで、今日のまとめです。
■「運が悪かっただけです。」とは安易に考えず、原因を自分の中に求めて考えるようにしましょう。
■「運が良かっただけです。」と言うことは、さらに応援してもらえる可能性も高まるので良いことです。
久し振りのブログ更新で、少々長文になってしまいました。
またできるだけ書くようにします。それではまた。